歩いて歩いて、得られる事。
渋谷で朝まで遊んで、始発が始まる前、銀座まで1時間半歩く事がある。
それだけ歩けば酔いも醒め、明方の街は特に見ていて楽しい物もない。
通行人もいないし、音も少ない、ただ自分だけが歩いている。
そうなると必然と対話の相手は自分しかなくなる。
外部の刺激が少ないから、内部に関心が向いていく。
そのうち周囲の景色は思考の背景になり、まだ小さな騒音は気にも留めないBGMになる。
目的のない旅行が嫌いで、
あまり観光旅行に行きたいと思う事はないが、
聖地巡礼や、お遍路の類いは興味がある。
到達点や信仰でなく、そのプロセスへの関心なんだろうと思う。
何か今の自分を変えたい時、
自分の整理をしたい時、
人は無意識に歩くことを選択しているように思える。
一駅前で降りて歩いてみたり、
少し遠回りな道を歩いてみたり。
散歩なども同じだろう。
目的地に最短で到達する、という合理性ではなく、
歩くプロセスに期待しているのだと思う。
自分と対話できる時間を日常に創りだして、
頭と体を動かしたくなるものなのだろう。
長く歩き終わった後の自分に期待をして、
人は歩き始める。